音が大事か、文字が大事か。
2018/06/17 - BLOG
SLCの矢田です。
小学校の時、ひらがなを習って、
促音や長音の表し方を習った後、
突然、クラスのみんなの日本語がおかしくなり、
「縄跳びしよ~」ではなく、「縄跳びシヨウ」と言い出し、
「行って」、ではなく、「イツテ」と言い出しました。
数ヶ月間それが続き、先生が注意しだしたことがありますが、
誰もふざけていたわけではなく、どうしても、そうなっちゃったんです。
あれは単なる間違いではなく、賢くなるために必要な過程だったと思います。
英語を勉強していると、文字で認識している音と、
実際に、例えばTOEICのリスニングテストで聴こえてくる音にギャップがあり、
聴き取れないという現象がありますが、
そこで、学校教育や文字を敵視しちゃいけないと思うんです。
私の小学校だけだったのかもしれませんが、
日本語ネイティブであっても、文字を習って混乱したわけです。
文字に引っ張られて、音のほうを変えたわけです。
勉強をしていると、何かに引っ張られる現象が起きますが、
それは賢くなる過程だと思う。
その引っ張りをまた引っ張り返しているうちに、
自分の中で音と文字のギャップがなくなったように思います。
聴こえないとか、話せないとか、何かできないことがあると
「○○が悪い」と、
しばしばよく「学校教育」や「英文法」が悪者にされ、
英語ができない理由として挙げられますが、
できない理由ではなく、できる方法を考えよう!
たいがい、何か決定的な原因があるわけではなく、
もうちょい頑張れってだけです。
文字の影響で、教育の影響で、いったん音がとらえられなくなったり、
いったん発音がおかしくなることは、あります。
でも、それって英語だけじゃない。
スポーツだってそうみたいだし。
もう一歩上の技術を身につけるため、いったんフォームが崩れたり、
いったん技術が落ちることがあるように、
そんなの仕方ないことなんだ、進化の過程だよと感じます。
SLC
矢田